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  • 執筆者の写真EMI MITSUDA

最後に残る、大切なもの




こんばんは。

ラトレアの光田恵美です。


今日、断捨離の兼ね合いでひとつの籠を手放しました。


その中にあったものは、

既に使わない、処分するものがほとんど。

使うかも、、と言ってとっていましたが、やはりどちらか迷った時は、結局使わないですね。


そして、半年くらい探し続けていたものが、すんなり出てきました。


何度かそこの中を探したはずなのですが、中のものが多すぎて、見つけられなかった様です。


今日ここの中から、3割の「まだ要るもの」を選別した訳ですが、また時期がくれば、そこからまた何割か減っていくと思います。


その様に、手放していった先に残る、「本当に大切なもの」は、いったい何なのでしょうね。


最後の一個は、何なのか。


生きるのに必要なもの?

心を一番満たしてくれるもの?


そもそも宇宙とは

自分自身です。


最後の一個は、おそらく物質中には何も無くて、魂の光であると気付くのでしょうか。


頭で分かっているけれど、体現できていないことですから、それを感じられる日が来るのはとても、ワクワクします。



この籠を心に例えると、いかに、要らなくなったのに気付かず放置していた「以前は必要だったもの」が、本質的に大切なものを覆い隠してしまっているかが、わかりますね。


人はみんな、色んなシチュエーションに合わせた ”自分” を作りながら大人になっていきます。

(いずれそれを減らしていく段階へと入ります)


小学校に上がる時、そこで生きるための自分を。社会人になる時、そこで生きるための自分を。結婚した時、そこで生きるための自分を。その他もいろいろな場面で、それが行われます。


その時々で本質の自分を守るために作られた、自分の分身の様な存在。


もしそれが嫌な記憶として残っていたとしても、それを偽りの自己と忌み嫌う必要はなくて、ただ、お疲れ様といってあげて、役割を解放してあげる。


これこそが、大切だと思います。


自分の中にある全ては、自分にとって、全て、その時に必要なものだった。

どんな自分の分身も、その時そこにいなければ、今の自分にはなっていないんです。


あの時こんな生き方をしなければ今はもっと〜というのは、ナンセンスです。


だって、わからないから。

単純です。


それよりも、じゃあ、今がもし、自分にとって最善な人生の瞬間だったとしたら?と、考えてみる。


過去は、自分の “今” の捉え方によって、簡単に、自分にとって良くも悪くもなります。


今世で生きた過去の事象を変えるのは困難ですが、過去を良いものとして見方をアップデートする事は、いくらでもできます。


それをしていく事で、自分を肯定する力、信じる力、愛する力が大きくなっていき、本質の自分を表に出して生きる準備が出来ていきます。


その時、どんな気分で、何をしているのでしょうね?


自分を整理していくのを楽しみながら、日々ワクワク生きていきましょう (^.^)



今日もありがとうございました ˚⁎✧˚



ラトレア 光田恵美

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